当寺院の概要
当寺院名 | 慶呼山寶泉院延命寺 |
ご本尊 | 金剛界大日如来 阿弥陀如来 (こんごうかいだいにちにょらい あみだにょらい) |
宗派 | 天台宗 |
設立時期 | 平安時代中期 |
所在地 | 〒322-0013 栃木県鹿沼市深津1435 アクセス |
住職名 | 啓峰 |
住職ご挨拶
当ホームページをご覧の皆さま、初めまして、延命寺42世の啓峰(けいほう)と申します。このたび、当寺院のホームページを新設することとなりました。
平成24年に当寺院の住職に就任いたしまして、時代は平成の世が終わり、新時代の幕開けとなる「令和」の時代に入りました。就任以来、当寺院のご祈願、ご供養の力をもっとたくさんの方々に知っていただき、多くの皆さまの支えとなる寺院になるために日々考えているところでございます。
これから更に、護摩祈願、ご供養などを通して皆さまの日常の支えとなる寺院を目指し、日々精進してまいりたいと思っております。
今後におきましても、慶呼山寶泉院 延命寺を何卒よろしくお願い申し上げます。
慶呼山寶泉院 延命寺の歴史
慶呼山寶泉院 延命寺の開基は常斉上人とあり、その記録は、平安時代中期までさかのぼります。
その後、3度火災で焼失しましたが、永禄10年(西暦1567年)頃に宇都宮広綱の家臣である小林豊後守が出城を築いた際に、祈願寺として再建されました。
以後、祈願寺として多くの人々の信仰を守り続け、現在ではご祈願・先祖供養の寺院として今も信仰を守り続けております。
日本天台宗について
日本の天台宗は、今から約1200年前の延暦25年(西暦806年)、伝教大師最澄によって開かれた宗派です。
最澄は神護景雲元年(西暦767年、異説あり)、近江国滋賀郡、琵琶湖西岸の三津(今日の滋賀県坂本)で、三津首百枝(みつのおびとももえ)の長男として誕生。幼名を広野(ひろの)と呼ばれました。
早くからその才能を開花させ、12歳で近江の国分寺行表(ぎょうひょう)の弟子となり、宝亀11年(西暦780年)に得度、延暦4年(西暦785年)に奈良の東大寺戒壇院で具足戒を受け、国に認められた正式な僧侶となられたのです。
受戒後3カ月ほどで奈良を離れ、比叡山に分け入り修行の生活に入られました。そして若き僧最澄は願文を作り、一乗の教えを体解(たいげ)するまで山を下りないと、仏に誓いました。その後、延暦7年(西暦788年)に一乗止観院(後の根本中堂)を創建、本尊として薬師如来を刻まれました。
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